ファンにとっては不名誉なことだろうが、阪神タイガースといえば、人事や進退についてのゴタゴタがよく表面化する「お家騒動」が定番だ。その象徴的な出来事といえば、監督の采配への不満を登板後にこぼしたことをきっかけに起きた、1981年の「江本孟紀引退事件」だろう。
甲子園球場で全国高等学校野球選手権大会が開催されるため、8月の阪神タイガースは本拠地を離れた試合が続く。ホームゲームから離れる過酷さから「死のロード」とも呼ばれる遠征から甲子園に戻っての初戦。1981年の江本は、中西太監督から「お前なんかいらん」と二軍落ちさせられていたが、連敗中のため呼び戻された。2点リードで迎えた8回表、2死二、三塁で事件が起きた。
「普通はベンチから指示が出る場面。ところが、ベンチに監督がおりまへんのや。“中西さんは肝心な時に逃げる”と有名だったが、僕の場面で消えるとは思わんかった」(江本氏)
バッテリーで敬遠と決めたが、外した球に飛びつかれて2点タイムリーを許し、その回を投げ終えて降板。ロッカールームに引き上げながら、エモやんは「アイツ何を考えとるんや。アホか。ホンマ、野球ができんやろ」と独り言……。それが記者に拾われ、翌日のスポーツ紙に「ベンチがアホやから野球ができへん」という大見出しが躍った。当然、球団から事情聴取を受けたが、「“ほな、やめますわ”となった」(江本氏)。
引退後はヤケクソで書いた『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)がベストセラーになり、評論家としても大活躍。「ベンチがアホでよかった」と江本氏は笑った。
※週刊ポスト2019年11月8・15日号