45年間連れ添った最愛の妻が、夫に残した『七日間』という詩が話題となっている。「神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ」に始まり、七日間でやってみたいことを綴った詩だ。
神奈川県川崎市の宮本英司さん(72才)は、妻・容子さん(2018年1月、小腸がんで逝去。享年70)を失った。2年半に及ぶ闘病中、夫婦は病室で交換日記を始めていた。そして、「彼女が残したものを形にできないか」と思った英司さんは新聞に投稿。2018年3月9日付の朝日新聞に『七日間』が掲載されると、それは大きな反響を呼び、共感の輪が広がった。
容子さんは闘病生活の中で何を考え、どんなことを伝えようとしたのか。そのメモから探ってみたい。
《2015年の3月頃から具合が悪く、下痢と嘔吐を繰り返し、4か月で7回もお医者さんにかかるほど。しかし、内科の先生の見立てはいつも大腸炎だった。大学病院にやっと紹介状を書いてもらったのが6月30日。翌日、早速受診したところ、1回目の診断はやはり大腸炎。「この程度では入院させられない」と言われ、納得できないまま帰ったこともあった。
体の不調はなお続き、近所のほかの内科医から重大な病気の恐れがあるからと再度大学病院への紹介状を書いてもらったのが、8月18日。大学病院での診断の結果が小腸に腫瘍があり、腸閉塞を起こしていた。わずか1か月半前には入院を断られたのに──そんな中で手術の2日前に医師から腫瘍の生検の結果は良性だと告げられた。
まさか、術後にあんな宣告をされるとは。悪性の腫瘍がみつかり、すでに進行具合はステージ4とのこと。余命は2年くらい》
《9月27、28日、「八ヶ岳わんわんパラダイス」へ小春を連れて一泊旅行へ。(*注:小春=飼い犬)元気に行けて、よかった…夜、英司が、抗がん剤治療で少しでも望みがあるなら、やってほしいと言う。
私はずっと、直前までやりたくない思いの方が強いが、英司への最後の愛情だと考えて、やると答えた。でも、頑張るとは言えなかった──何を頑張ったらいいのだろう。英司へ。強く生きてほしい。私がいなくなっても、私と生きた年月は、英司の中に残っているのだから、強く生きてほしいです。仲間を作って、楽しく生きてほしいです》
《いよいよ今日から抗がん剤治療。英司のために、生きよう!と思って頑張ろう》
《冷たいものをさわらない時は、しびれた感がなく、ホッとしていたけれど、ペットボトルをさわると両手ともしびれる…副作用第一弾だ。確実に抗がん剤は私の体の中に入って、正常な細胞も壊しているのだ──》