1980年代のマラソン界でライバルとして「日本最速」を争った瀬古利彦と中山竹通。
瀬古は現在、日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー。解説者としてもテレビでよく目にする。
一方の中山は、バルセロナ五輪で4位となるなど五輪2大会で連続入賞した後、大阪産業大学、愛知製鋼の陸上部監督を経て、現在は講演活動や市民ランナーの指導イベントなどを行なっている。中山が語る。
「今は陸上部の監督はやっていません。瀬古さんのように表舞台に立つつもりはありませんね。もう歳ですから……。日本陸連ともあまり関わりたくない」
ソウル五輪の代表選考では、事実上の代表決定戦と言われた福岡国際マラソンを瀬古が体調不良で欠場。
それを受け、中山が「自分なら這ってでも出ますけどね」と発言して物議を醸した。瀬古はその後、びわ湖毎日マラソンを優勝して代表資格を獲得している。
「瀬古さんのことは、今はなんとも思っていません。ソウル五輪の選考は瀬古さんに甘かったんじゃないかとは思いますが、(陸連は)肩書きに弱いところがありますからね」(同前)
※週刊ポスト2019年11月8・15日号