45年間連れ添った最愛の妻が、夫に残した『七日間』という詩が、2018年3月9日付の朝日新聞に掲載されて以来話題となっている。新聞に投稿したのは、神奈川県川崎市宮本英司さん(72才)。妻・容子さんを2018年1月に小腸がんで失った。享年70だった。
詩は「神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ」に始まり、七日間でやってみたいことを綴った詩だ。最期の別れから1年8ヶ月経ち、英司さんは今何を思うのだろうか。
「妻が他界してから1年と8か月経った今でも、なかなか気持ちを拭えるものではありません」
時折、目に涙をにじませながら英司さんはそう語る。出会ってから52年、結婚して45年間。長年連れ添ったパートナーをなくすことはつらく悲しい。
「容子の存在の大きさは、亡くなってから改めて感じるようになりました。すべてを包み込んでくれるような存在感がありました。私は亭主関白なタイプでしたから、自分の方が一歩優位に立ちたいと思い、実際、立てているつもりでいました。でも、気づけば容子の方が上でした。人間は決して上下や優劣ではありませんけれど、容子の大きな愛情の中で私は生きてきたんだなぁ、と実感します」
容子さんは「家族に対してとにかく熱かった」という。
英司さんが30代の頃、テニスをしていてアキレス腱の上の筋を切り、松葉杖生活を余儀なくされたことがあったが、術後、初出勤の時、容子さんは「会社まで一緒について行く」と言って聞かなかった。ラッシュアワーの駅や電車内はひどい混みようだったが、「混んでいるから行くのよ」と言い、会社の入口までついてきてくれた。
「プラットホームや階段をゆっくりとふたりで歩きました。私を支えてくれた、あの時の容子の横顔や優しさが忘れられません。生前は思い出すことなどはほとんどありませんでしたが、いなくなってみて、そんなことばかりが思い出されます。
とにかく、思ったら動く、いいと思ったことはまず行動、の人でした。友達も多くて、いつも仲間と習い事をしたり、集まって出かけたり。子育てにおいては、思春期の問題、成長過程でのトラブルなど、一般家庭であるようなことがわが家でもいくつかありましたが、容子は常にリーダーシップを取りながら、家族みんなが仲よく暮らしていける工夫をしてくれました」
容子さんの闘病時、英司さんは「今度は自分が支える番だ」という思いを強くした。
◆自分の半身がなくなってしまうような感覚
がん宣告をされた翌年にふたりは交換日記を始めたが、この年はふたりが出会ってからちょうど50年目で、その記念の意味もあったという。