オフシーズンのゴタゴタといえば、阪神タイガースファンにはおなじみの光景かも知れない。ごく最近のことではなく、何十年も、何度も繰り返されてきたからだ。阪神タイガース生え抜きでは初めて名球会入りした解説者・評論家の藤田平氏も、「阪神お家騒動」の主役になったことがある。
1965年にドラフト1期生として阪神入りし、生え抜きで初の2000本安打を放った藤田平。同じく生え抜きの鳥谷敬が抜くまで2064安打は球団記録だった。だが晩年は不遇。1984年の現役引退と1996年の監督解任の際、二度にわたって球団と対立し、後者の際は抗議の意味で球団事務所に約10時間“籠城”した。
「現役引退の時は秋季キャンプでコーチ就任を監督から伝えられ、監督を辞める時も親会社とは最後まで話ができなかった。マスコミと球団は一体ですから、現場が悪いという論調になる。私にも引き際の美学があったが関係なし。阪神は球団や本社は誰も責任を取らず、歴代の監督が詰め腹を切らされてきたが、まさにその形ですわ」(藤田氏)
藤田氏はデイリースポーツ紙面で阪神を痛烈に批判。ストーブリーグ恒例の「お家騒動」も、阪神の歴史を支えてきた重要なファクターといえる。
※週刊ポスト2019年11月8・15日号