日本の高度経済成長を牽引した「昭和の名経営者」と言えば、松下幸之助、本田宗一郎、小倉昌男などが思い浮かぶ。一方、彼らと肩を並べるほどの成功を収めながら、毀誉褒貶相半ばする人たちがいる。佐川清氏もその1人だ。横田増生氏(ジャーナリスト)がレポートする。
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佐川清の成り上がりぶりは他に比類がない。新潟の田舎町の旧家に生まれ、旧制中学を卒業した後、いくつかの職を経て、京都で飛脚便を始めるのは1957年のこと。この当時の様子を自著にこう書いている。
「裸一貫での開業だから、私は守備範囲を京都⇔大阪間と決め、京都、大阪の問屋へ『飛脚のご用はありませんか』と注文を取りに回った」(『ふりむけば年商三千億』)
1965年には佐川急便を設立した。フランチャイズ制をとり、全国ネットワークを広げた。清の元に入ってくる給与は月1億円ともいわれ、そのお金を、政界や芸能界、スポーツ界に湯水のようにバラ撒いた。政界では田中角栄や渡辺美智雄、スポーツ界ではアントニオ猪木、芸能界では橋幸夫などを支えた。「政治家に使った金はざっと500億円くらいかな」と本人が語っている。日本一のタニマチとも呼ばれた。
商売も豪快だった。1980年代に米フェデラルエクスプレスのF・スミス会長と業務提携の話し合いをするのに、清は大勢の芸者を飛行機に乗せ話し合いが行なわれるハワイに向かう。が、相手はあまりにも型破りの会合に気勢をそがれ、業務提携の話は流れた。