伝統ある球団としてファンも誇りにする阪神タイガースには、球団OBの生え抜き監督ばかりがそろう。1988年、その阪神の第28代監督に就任した野村克也氏。「ID野球」で弱小球団だったヤクルトを9年間でリーグ優勝4回、日本一3回の強豪に変身させた、その手腕を買われての抜擢だった。阪神では異例の外様監督である。
「三好一彦球団社長は吉田義男監督の後任として安藤統男さんなどOB中心の人事を進めていたが、久万俊二郎オーナーが野村さんの招聘に直接動いたんです。オーナーが監督人事で動いたのは初めてのことでした」(当時球団本部長の野崎勝義氏)
阪神は野村監督をバックアップするために生え抜き主義の三好球団社長を更迭し、高田順弘氏を後任社長に就任させた。
野村監督は新庄剛志に投手の練習をさせて話題作りをする一方、赤星憲広らで「F1セブン」を結成。広い甲子園で機動力野球を目指した。1年目は一時首位に立ったものの、結果は指定席の最下位。2年目、3年目も最下位から脱出することができず、沙知代夫人が所得税法違反などで逮捕されたのを受け、3年での退団が決まる。だがこの時期に作られた土台が、後の星野阪神の優勝を実現させたという評価も多い。
※週刊ポスト2019年11月8・15日号