11月14日に挙行された「大嘗祭」。天皇陛下即位の関連行事の中でもクライマックスと呼ばれるものだが、その全貌は謎に包まれている。
大嘗祭は、祭祀の舞台「大嘗宮」を皇居・東御苑に新設して行われる。大小三十余りの建物が今年7月の着工から約3か月で建設され、設営・解体関連費19億700万円を含めた全体の費用は約27億円にのぼる。終了後は、11月21日~12月8日の一般公開の後、取り壊される予定だ。
戦国時代以前の大嘗祭は京都で行われており、お供えする新穀を献上する悠紀(ゆき)地方(東方)と主基(すき)地方(西方)の民衆が上京し、北野(現在の京都市上京区、北区。京都御所の北方)の地で準備を行っていた。國學院大學研究開発推進機構の研究員で、宮中祭祀の研究が専門の木村大樹さんが話す。
「当時の大嘗宮は、上京した悠紀・主基地方の人たちが中心となって、7日前から建設を始め、たった5日で仕上げたとされます。平安時代の史料『儀式』によると、儀式の中心となる『悠紀殿』『主基殿』は現在より小さく、また床は張らずに、土間に萱や畳を敷くような簡易的な形式だったようです
◆処女の采女(うねめ)との性的開放説
肝心の儀式では何をされるのか。木村さんが話す。
「古代の悠紀殿、主基殿は、縦12m×横4.8mほどの広さで、部屋が奥の『内陣』と手前の『外陣』の2層に分かれています。
内陣は天皇陛下がお祀りをされる最も神聖な空間で、神事の最中には陛下とお給仕を介添えする采女(女官)の2人しか入れません。外陣には、祭祀を司る掌典長や側近のトップである侍従長、神饌(お供え物)を運ぶ采女が9人控えているようです」
内陣の中心には、畳を複数重ねた上に衾がかけられた「寝座」が置かれている。いわゆるベッドだ。この寝座を巡り、かつてさまざまな憶測が飛び交った。大東文化大学名誉教授の工藤隆さんが話す。
「寝座は、女性が主役だった弥生時代の穀物収穫儀礼で、ベッドとして用いられたものが名残りとして引き継がれてきたと考えられます。その寝座について昭和初期、民俗学者の折口信夫が唱えたのが『真床覆衾説(まとこおうふすませつ)』です。
折口は、寝座があったことで、【1】先代天皇とともに新天皇が寝具にくるまることで天皇霊を身につけ、『完全な天子』としての資格を得る、といった説や、【2】内陣に一緒に入る処女の采女との性的開放説があったなどと説きました。
平成の大嘗祭の時には、折口説のセンセーショナルな点だけが飛躍して世間に捉えられ、妄想に近い極端な説も出始め、宮内庁は大嘗祭の直前に、『天皇が神格を得る秘儀はない』『天皇は寝座に触れることすらありません』という否定コメントを出さざるを得なくなりました」