【書評】『「松本清張」で読む昭和史』/原武史・著/NHK出版新書/800円+税
【評者】川本三郎(評論家)
松本清張を論じるのは難しい。活動範囲がミステリにとどまらず時代小説、ノンフィクションと広く、テーマも古代史から昭和史まで多岐にわたっているから論じる側にも相当な知識を必要とする。
その点、日本政治思想史を専門とする原武史氏はうってつけの論者だろう。清張論というとどうしてもミステリ中心になっていたが、本書は昭和史と天皇制という清張の大きな核をおさえていて実に新鮮。『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』『昭和史発掘』『神々の乱心』の五冊が論じられる。
まず『点と線』。鉄道好きの著者らしくトリックに利用された「あさかぜ」が当時の最先端を行く特急列車だったことを指摘する。高度経済成長期を象徴している。さらに著者は物語の発端となる福岡県の香椎に着目する。ここは謎の多い巫女的な皇后、神功皇后ゆかりの地。犯人のうしろにいる女性の存在と、この神功皇后の存在を重ね合わせる論は面白い。
著者は清張文学の特色はふたつあるという。ひとつはタブーへの挑戦。『砂の器』でハンセン病の患者を登場させたのがそれ。もうひとつは昭和史への関心(明治時代に興味を持った司馬遼太郎と対照的)。とりわけ昭和史における天皇制の役割に踏み込んだ。『昭和史発掘』では二・二六事件を追い、これまで研究者が論じることの少なかった中橋基明中尉という決起将校に焦点を当てた。中橋は「宮城占拠」までを考えていた。三島由紀夫がおそらくはこの清張の研究を読んで、影響を受けたとする論は刺激に富んでいる。
さらに、清張の死によって未完に終わった小説『神々の乱心』の論考も、語られることの少ない小説だけに示唆に富む。昭和天皇と秩父宮の母である貞明皇后が、昭和史で果した役割の重要性が大胆に語られる。「宮中の奥」の力であり、古代から脈々と続くシャーマンの力である。国民の目に触れない宮中の奥に表向きの権力とは違う権力が存在する。清張ならではの推理だろう。
※週刊ポスト2019年11月29日号