ヤクルト、巨人、阪神で4番を任された野球評論家の広澤克実も、「数字に出ない部分の交渉は難しかった」と振り返る。
「ケガを押して試合に出ても、査定に反映されにくい。査定担当者は常に選手と行動を共にしている職員なので、“なんとかしてくださいよ”と心情に訴える者もいれば、“ちょっと時間をください”と交渉が決裂するケースもあった。
私の場合は、他球団で同じような成績・年俸の選手が、昨年の更改でどれくらい年俸が上がったかを調べておき、提示額が妥当かを判断していました」
そうした査定項目は細かく、野球選手一人で判断するには複雑だ。そこで現在では、「代理人」に任せるケースが増えている。いち早く取り入れたのは近鉄時代の中村紀洋だった。
「中村は“自分は弁が立たない”との思いから弁護士を立てて交渉に臨んだ。弁護士は“球団が看板選手として中村を前面に押し出す限り、その評価もされないとおかしい”と、グッズの売り上げなどの数字を示してブランド力を押し出した。オリックスから阪神に移籍した日高剛は、代理人を3人も連れてきて話題になりました」(在阪スポーツ紙デスク)
※週刊ポスト2019年12月6日号