10月18日に六代目山口組の高山清司若頭が出所してから、堰を切ったように全国で抗争に絡んだ事件が続く。「3つの山口組抗争」のキーマンとされる高山若頭とは、どのような人物なのか。
1947年9月、愛知県津島市生まれ。20歳で弘道会の前身である弘田組傘下の佐々木組の組員となった。ジャーナリストの溝口敦氏は、高山若頭が盃による疑似血縁を絶対視する人物だと説明する。
「佐々木康裕・組長はかなりの浪費家でしたが、親を支えるのは子の責務と嫌な顔せずに、すべて補填していた。その献身を知り、若き日の司忍・六代目山口組組長が頼み込んで譲ってもらったほどです。以降、高山若頭の行動原理はいかに“司組長を日本一の組長にするか”になっている」
2005年8月、「司・高山体制」の六代目山口組が発足するが、それまでの山口組では組長と若頭は別の組織から出すのが慣例だった。
「内部からは批判の声が上がりましたが、これを高山若頭は“恐怖政治”で抑え込んだ。事あるごとに、若頭補佐の幹部たちを直立不動にさせ、有無を言わさず怒鳴りつけたといわれています。また、傘下組織に毎月数百万円も日用品を買わせ金銭的にも締め上げた。
さらに、徹底的な“信賞必罰”で組運営を行なってきた。司組長が収監されていた2008年10月には後藤忠政・後藤組組長がゴルフコンペで定例会を欠席したことが分かると除籍を決めた。決定を下した高山若頭ら執行部を批判する“連判状”に名前を書いた13人の直参組長全員にも有無を言わさず、絶縁、除籍、謹慎の処分を下している」(溝口氏)