戦後の出版文化の賑わいの中にはヌードがあったが、中でも一番の盛り上がりを見せたのが、平成で開花した“ヘアヌード”ブームだ。時代ごとのヌードを第一線で見てきた名編集者、石川次郎、鈴木紀夫、元木昌彦の3氏は、日本中が熱狂したヘアヌードバブルをどう見たのか?
元木:1990年にFRIDAYの編集長になった私も、講談社初のヘアヌード写真集となる荻野目慶子『SURRENDER』を出しました。撮ったのは荻野目の不倫相手で、自殺していた人。名前は出せないので、「写楽」と名付けました。売れると思い、20万部ぐらい刷ったのかな。そうしたら、その直前の役員会議で発売中止が決定されたんですよ。誰が撮ったかもわからないヘアヌード写真集など出すな、と。
ところが週刊文春でパブリシティ記事をやってもらうことになっていて、そのゲラが回ってきて、見るとでかでかと紹介されている。それなのにここで発売を中止したら、それこそスキャンダルになる。ということで、逆転で発売されたんです。飛ぶように売れましたよ。
それで味をしめて作ったのが、ヘルムート・ニュートンが撮った石田えり『罪(immorale)』。ニュートンのギャラが高くて、制作費が1億円かかりました。でも、大ヒットして、ヘアヌード写真集はこんなにオイシイんだと思いましたね。
石川:1989年かな、僕もニュートンに撮影を頼んだことがありました。当時編集長だった旅行雑誌のGULLIVERに、ヌード絡みの旅のページを作ろうと思って。モデルはある大物女優さんで、彼女からはOKをもらっていたんですが、ニュートンのギャラが高くて諦めました。なので、石田えりの写真集が出たときは、あっと驚きましたよ。