政治家に失言はつきもので、正しく向き合えば“戒めの鏡”にもなり得る。大切なのは失言や過ちを犯した後の対応だ。謙虚に反省して国民に謝罪し、政治と行政を正道に戻す。誤解を受けているなら丁寧な説明でそれを解く。そうした姿勢があれば、国民の信頼をつなぎとめることができるはずだ。
だが、この国の政治家は過ちを反省しないまま「言い逃れ」に走り、チェックすべきメディアがそれを許し、国民は“政治家はそんなもの”と諦めつつある。
それがどんな事態を招いたか。権力者の「言い逃れ」を正当化するために、役人は記録を改ざんし、証拠文書をシュレッダーにかけ、口裏を合わせる。まさに歴史が書き変えられているのだ。正確な歴史が記録されなければ、民主政治は続かない。“無理が通って道理が引っ込む”国になる。
いま、この国で起きているのは民主政治の危機そのものだ。2019年も政界では多くの不祥事や失言が生まれた。本誌は当事者たちがそれをどう釈明、弁明、言い逃れしてきたかを検証し、“心に残る釈明、弁明”を紹介していこう。
◆萩生田文科相「負けるな、という思いで」
大学入試シーズン直前に、文科省が英語に続いて国語、数学の記述式試験の導入見送りを決定したことは受験生に大混乱を招いている。そのきっかけとなったのが萩生田光一・文科相の「身の丈発言」だった。
「裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことがもしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の身の丈に合わせて、2回(のテスト)をきちんと選んで、勝負してがんばってもらえれば」
これが裕福でない家庭の子供との「入試格差」を容認したものだと批判を浴び、入試改革はボロボロだ。萩生田氏は国会(10月30日)でこう釈明している。
「いろいろ厳しい環境、それぞれ人によって異なるものがあるけれど、それに負けるな、という思いで発した言葉でございます」