パチンコ・パチスロの新台解説や攻略法などを専門誌に執筆する「パチンコライター」という職業。いまやその活動範囲は誌面にとどまらず、地上波やCS放送の専門番組に出演したり、パチンコ店での実戦取材に呼ばれたりと、タレント並みに幅広い。そこで、最近、グラビア撮影にも初挑戦している「DMMぱちタウン」専属ライターのナミさんに、知られざるパチンコライターの世界を語ってもらった。
──ナミさんがパチンコを打ち始めたのはいつからですか?
ナミ:大学生時代の18歳からです。もともと母がパチンコ好きで、私もゲームセンターのコインゲームなどで遊び方は知っていたので、割とすんなりホールにも入ることができました。
でも、ゲームセンターと違って、パチンコは大きなお金をかけないと当たらないこともあるので、最初はドキドキでしたね。コンビニのアルバイトで稼いだお金や、貯めていたお年玉などを握りしめて、1万円を投資するたびにヒリヒリした感覚がありました。
──ビギナーズラックはありましたか?
ナミ:ありましたよ。初めて打った時に、少ない投資額でたくさん勝ったんです。それからすっかり味をしめちゃった感じです(笑い)。大学の授業がない日は、朝から晩までパチンコ店にこもることもしょっちゅう。
当時、付き合っていた彼は、まさか私がパチンコ店に通っているとは知らず、ある日、彼の実家にお土産を持って遊びに行ったら、その紙袋の中にパチンコ玉が転がっていて……。「これ、何?」と言われたこともありました。結局、その彼とは別れちゃいましたけどね。
──プロではなく趣味で打っていた時代は、負けた金額も相当だったのでは?
ナミ:学生時代はパチンコ台のスペック(大当たり・確率変動・継続率などの確率)や、負けている台の“やめ時”もよく分からないまま打っていたので、バイト代をすべて使い切って、帰りの電車賃すら残っていないこともありました。多いときで年間200万円ぐらい負けた年もあったと思います。
──そんなにお金を使っていたら、学生とはいえ生活が苦しかったのでは?
ナミ:そうですね。コンビニバイトの他にも、日払いで給料をもらえる秋葉原のメイドキャバクラなどでも働きましたね。でも、結局、そのお金を持って翌日にはまたパチンコに行く生活でした(笑い)。