遺跡での新発見や遺物の科学鑑定など、実は歴史研究は日進月歩の世界である。世界史にまつわる2019年の新発見から、歴史作家の島崎晋氏が「重大ニュース」を厳選した。
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◆古代マヤ文明 「温厚説」を覆す「戦争の証拠」
中米に栄えた古代マヤ文明のなかでも紀元3世紀中期から10世紀中期までは古典期と呼ばれる。古典期の大半は戦争が儀式化しており、敗れた側の王族の連行や象徴的な建物が解体されることはあっても、一般人を含めて大量の死傷者が出ることはなかったと言われてきた。そして従来、古典期末期にマヤ文明が衰退した要因は、旱魃にともなう食料不足の結果として王国間の戦争が激化したから──とされていた。
ところが、米地質調査所(USGS)の古気候学者デビッド・ウォール氏は今年8月5日付けの学術誌『Nature Human Behaviour』に、従来説とは異なる新説を提示した。ウォール氏が中米グアテマラ北部のラグナ・エクナーブという湖の堆積物を分析した結果、焼き討ちをともなう激しい戦争は旱魃に関係なく、古典期前期から頻繁に起きていたというのだ。
この説に間違いがなければ、マヤ文明は当初から戦闘的な性格を有していたことになり、従来の牧歌的なイメージは修正を迫られるだろう。
◆バビロニアのエルサレム征服──『聖書』の証拠を発掘
『旧約聖書』の記述は歴史ではなく、ほとんどが神話──そうした見方に一石を投じる調査結果が8月に公表された。
発掘に当たったのは米ノースカロライナ大学の研究チームで、場所はエルサレム旧市街の南西隅にあるシオンの丘。研究プロジェクトの共同責任者を務める考古学者シモン・ギブソン教授は、そこから灰の堆積物や矢尻、壊れた壺、照明器具に加え、房飾りかイヤリングとみられる宝石類が発見されたことに着目した。
矢尻はバビロニアの戦士が使っていたタイプのものだった。また、金の宝石を捨てたり、矢尻を家庭ごみに出したりする人はいないとの理由から、ギブソン教授は何らかの破壊行為があったと結論付けた。地層の年代からすると、これこそが『旧約聖書』に記された新バビロニアのネブカドネザル2世によるエルサレム征服時の痕跡に当たるという。聖書の記述に歴史的事実がベースになった部分がある、というのがギブソン教授の見解である。