内申点も良かったのだろう。努力の甲斐あって見事に名門公立高校に合格する。しかしそこで待ち受けたのは県内から選りすぐられた秀才たちだ。
「1年の中間テストで早くも打ちのめされました。努力でやっとの私と、努力でもっと上に余裕で行ける連中、さらに努力せずともトップを競う連中との差です。思い知らされましたね」
それでも君野さんはめげること無くコツコツと勉強を続けて挽回、学年で中位を維持し続けた。
「家が狭い団地だったので、勉強は図書館でした。広くてエアコンもある。うちはエアコンありませんでしたから、夏は快適でした」
そこで出会ったのが読書の楽しみだった。勉強も兼ねて一石二鳥だった。
「小説をたくさん読みました。とくに好きだったのは歴史小説。司馬遼太郎とか吉川英治とか、当時流行ってた津本陽や城山三郎なんかも読んでました。それから漠然と本に携わる仕事がしたいと思い始めました」
君野さんの大学受験は1993年度、ピークは過ぎたとはいえ今とは比べ物にならない倍率の激戦時代だ。
「本当は文系3教科ならもっと上の私大に行けたと思いますが、うちはとにかく金が無かった。奨学金も考えましたが勉強を優先したいので、地元の国公立大学を受験し、現役で合格しました」
学歴を語るときは“国公立”と“現役”を常に強調する君野さんだが、進学したのは地元の公立大学である。嘘は言ってないしそれでもたいしたものだが引っかかる。確かに大学名を言っても地元の人か大学に詳しい人でないと知らないマイナー公立大だ。
「お金さえあれば早稲田の社学(社会学部)や人科(人間科学部)、二文(第二文学部、現在は廃止)なら受かったでしょうね。MARCH(※マーチ、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の頭文字から)も学部を選ばなければ余裕でしょう。でもお金がなかったし、国公立のほうが地元では評価が高いですから」
大学受験と縁のなかった筆者にすれば拝聴するしかないが、40歳も過ぎてこういう話を聞かされるのは違和感だ。取材関係なく、彼は以前も大学受験やランキングの話をした。
そう、君野さんはいわゆる学歴マニアなのだ。