南海・ダイエーホークスの主砲として長きにわたって活躍した門田博光氏(71)。彼が「野球人生の分岐点」に挙げたのは、右足アキレス腱断裂から復活し、41本塁打を放ってカムバック賞に輝いた1980年シーズンのことだった。何が起きていたのか、門田氏に聞いた。
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アキレス腱を切ったのは31歳の年(1979年)。キャンプ中のケガだったので、シーズンを棒に振りました。
翌年もケガの怖さが残った。そこで“ホームランを打てば全力で走らなくていい”という発想で、長打狙いに切り替えたんです。トレーニングを重ねて、重いバットが振れるようになった時期と重なったことも大きかった。
それでカムバック賞を受賞した1980年オフ、阪神の掛布雅之とのトレードが報じられました。球団に阪神ファンからの抗議が殺到して流れましたが、水面下では本当にあった話だった。
当時はパ・リーグが不人気だった。南海では、“これだけ打ってもスポーツ紙で活字にならんのか〟と思ったこともありましたし、40本塁打を打って“ちょっとは給料が上がるかな”と思っても、雀の涙ほどしか上がらなかった(笑い)。人気球団でやっていたら……自分を試してみたかったという気持ちもあります。