女子アナの長い歴史上、避けては通れない“事件”が2007年12月11日、『ラジかるッ』(日本テレビ系)での宮崎宣子アナ(2002年入社)の大遅刻だ。翌日のスポーツ新聞全6紙を賑わせた大騒動の裏側を本人が振り返る。
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私が日テレに入社した頃はかなり体育会系な気質が残っていました。新入社員は定時の30分前に出社して掃除や珈琲とお茶の補充、新聞のファイリングのほか、先輩一人一人の席に行って「おはようございます!」と声をかけていました。
箱根駅伝のロケ前日は深夜2時まで仕事して翌朝6時集合なんて当たり前。長椅子で眠るADさんやディレクターさんたちに紛れて私も長椅子で寝ていました。女性アナウンサーが会社に泊まるのはご法度だったので、顔をハンカチで隠してこっそりと(笑い)。
そんなふうに忙しく過ごしながらも、入社して3年経ってもレギュラー番組を持てないことには焦りがありました。宮崎弁が抜けないなどの理由からデビューも遅かったので、毎年6月の異動内示の時期は「アナウンス部から異動になりませんように」と祈っていました。ですから入社4年目になる直前で帯の情報バラエティ番組『ラジかるッ』が決まった時は本当に嬉しかったです。
それに『ラジかるッ』を1年続けた頃、仕事ぶりが評価されて社内で表彰していただいたんです。ですが、それから1か月もしないタイミングでやらかしてしまって……。
◆真面目な日テレでは浮いていた