鮮やかな朱色に染め上げられた直後の日の丸が、高温乾燥機へと高々と昇っていく。私たちの日常にある「日の丸」国旗はどのように作られているのか、製作現場の工場を密着取材した。
訪れたのは群馬県沼田市。JR東京駅が毎朝掲揚する国旗も製作する東京製旗(TOSPA)の沼田工場だ。12月上旬の朝。工場内では、ベテラン職人が製造ラインの調整など準備作業を慎重に行なっていた。世界約230の国・地域の国旗や企業・自治体などの様々な旗も作っており、日本国旗を製作する日は専用の設定が必要となるのだ。
「日の丸はシンプルなデザインですが、それだけにほんのわずかなズレでバランスが崩れます。世界中の国旗の中で、作るのが最も難しい国旗が日の丸なのです」(小林達夫社長)
長さ2000メートルの白地の木綿の布がライン上を流れ、次々に日の丸が染められていく。この日は70センチ×105センチの国旗が約1900枚作られた。東京製旗は創業者が戦前から日の丸作りに携わり、時代と同社の変遷は縦糸と横糸のように日の丸の歴史を紡いできた。
「日本の主権回復が決まったサンフランシスコ講和会議、昭和34年の皇太子ご成婚、同39年の東京五輪では空前の日の丸ブームが巻き起こり、増産で対応。昭和天皇崩御の際は半旗を掲げるために企業や官公庁などから注文が殺到し、在庫がなくなりました。直近では、2019年5月の平成から令和へ元号が変わる際に奉祝で国旗の注文が集中。事前に例年の10倍程度の国旗を生産準備し、休日返上で全国出荷しました」(小林社長)
喜びの時も悲しみの時も、私たちのそばには日の丸があった。今年、東京五輪が開催される。日本人にとって日の丸がより身近になる1年となるだろう。
◆撮影/内海裕之
※週刊ポスト2020年1月17・24日号