現代でこそ女子アナは才色兼備を象徴する「憧れの職業」となったが、黎明期にその“土台”を築いたのが元NHKアナで女優の野際陽子さん(享年81)と、元日本テレビの石川牧子アナ(70)だ。しかし2人が後進に与えた影響は対照的だという。女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏は野際を「太陽」、石川アナを「月」にたとえてこう解説する。
「まだ働く女性が少なかった1958年、超難関のNHKに入局したのが野際さんです。最初の赴任地の名古屋で観測史上最大と言われた伊勢湾台風を生中継でリポートするなど花形アナとして活躍しました。その美貌は相当なもので、野際さんの上司だった石田武アナの息子・石田純一は当時の野際さんを見て『普通じゃない美しさだった』と評していました」
野際は4年後に退局し、広告代理店を経て女優に転身した。
「女子アナとして知的な美女という世間の認知度を高めた上で、『キイハンター』などで大ブレイクした。いまでいう“フリー”で活躍する先駆け的な存在で、後の女子アナたちの活躍の道を照らしました」
もう1人、女子アナという職業の地位向上に貢献したのが、1970年に日テレに入社した石川アナだ。
「石川さんは報道からバラエティまで広く活躍したマルチなアナ。1977年に始まった『アメリカ横断ウルトラクイズ』の総合司会で有名になりましたが、 1980年にはアフガニスタンの難民女性への取材に成功するなど目覚ましい実績を残しました」
石川はアナウンス部長として後輩への厳しい熱血指導を行なったことでも有名だったという。