父親が亡くなり認知症の母親(85才)を支えているN記者(55才・女性)。意思疎通が不確かになることの大変さと、認知症という正解のない難問への向き合い方についてレポートする。
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今から10年ほど前、母に認知症らしき兆候が表れた時は、驚きよりも「あぁ、ついに来たか」という感じだった。というのも母方の祖母や伯母たちが、70代後半になると順を追って認知症になったからだ。直前のことを忘れ、同じ話を繰り返す症状も、なんとなく見て知っていた。
ちょうど世間でも認知症への関心が高まり、取材という形で勉強する機会も増えた。何も知らず、いきなり老親の不可解な行動に腰を抜かす人に比べれば、私はかなり恵まれていたのだ。
ところがやはりそう簡単ではなかった。父の急死直後、物盗られ妄想にとらわれた母は、恐ろしい鬼の形相になり、口汚い言葉で私をなじった。これは認知症の典型症状で、信頼する人を攻撃しやすいこともよく承知していたのだが、あっけなく心は折れた。
認知症対応のマニュアル本には「逆らうな」とあったが、まったく無理だった。母が何か言うたび、「落ち着け、落ち着け」と唱える自分を、「ママしっかりしてよ!」と怒る自分が押し倒して、母に立ち向かってしまうのだ。
それでも当時は、怒り狂う自分の方が正解だと思っていた。自分に嘘がないからだ。「病気でおかしくなっているのに、私が嘘をついたら母を見捨てることになる」と。
連載2回目(2017年7月)に和光病院院長の今井幸充さんへ取材をした時、そんな心情を話すと、「認知症の人を慮る対応は“嘘”ではないよ。ましてや見捨てることではない。どんな形でも親子の絆は変わらないよ」と言ってくださった。ありがたくもうれしかったが、実はその時点でもまだ、少しモヤモヤしていた。