「TKと呼んでください」――彼はそう言いながら少し恥ずかしそうに微笑んだ。14歳のその少年の名前は、ミウラタケヒロくん。多くの人が「TK」と愛称で彼のことを呼ぶ。TKは生まれながら「複雑心奇形」という病を抱えていた。医師からはのちに「生きて生まれてこられる確率は3%だった」と言われた。奇跡的にこの世に生を受けたのだった。
複雑心奇形は完治が難しい先天性の病気で、医師からは「彼のような病状の場合、寿命は平均的に15歳ほど」と言われている。10代の少年にとっては重すぎる現実だが、彼は自宅や病院に閉じこもっているわけでも、鬱々と日々を過ごしているわけでもない。「毎日、楽しく生きている」と言い、むしろ普通の中学生よりも多くの人と出会い、自分が好きなものや、やりたいことに向き合っている。大きな病を抱えながらここまで前向きにいられるのはなぜか? 「今」を精いっぱい生きる14歳の少年の姿から、私たちが教えられることは多い――。
◆青紫色の泣かない赤ん坊
2005年2月16日、兵庫県芦屋市の地域の産婦人科医院で帝王切開手術が行われた。生まれてきたのは2500gの赤ん坊。しかし、いつまでも聞こえない泣き声に、TKの母・ユウさんは気が気ではなかった。医師は、必死になって、冷たく青紫色をした赤ん坊をひっくり返したり、背中をトントンと叩いたりと忙しく処置を行っている。助産師が心臓の音を確認した直後、「こんな心音、聞いたことがない!」と叫び声に似た声を上げた。助産師はユウさんに、「次会える可能性は低いかもしれないから、そのつもり抱いてあげて」と赤ん坊を抱かせた。その後、TKは県立の病院に搬送される。出産の安堵感は、一気に絶望に近い気持ちへと変わった。
病院のNICU(新生児集中治療室)で命をつないだTK。生後15日目にして、やっと「原因がわかりました」と医師から伝えられた。4つある心臓の部屋のうち1つが先天的にほぼ欠損している、複雑心奇形という診断だった。生きて生まれてこられる確率は3%だったそうで、この子の症例は心臓病全体でも1%ほどしかないと聞かされた。そして、この病状では寿命は平均的に15歳ほどだとも伝えられた。
心臓に負担がかかるようなことは避けるように言われ、笑わさないように泣かさないように慎重に生活する日々が続いた。体が成長すれば心臓への負担も大きくなる。その日から、TKの成長に目を細めながらも、大きくなりすぎないように願う。ユウさんはそんな葛藤を抱え続けた。ミルクを飲む量も制限された。TKは初めての手術を生後27日に受けるが、水分量を一定に保っていないと心臓に負担がかかり、血流が悪くなる。これにより体に酸素を取り込みにくくなり、手術の大きなリスクとなると言われたのだ。ユウさんは当時をこう振り返る。
「毎日病院に寝泊まりするような日々もつらかったのですが、この時期一番こたえたのが『もっと飲みたい!』と赤ちゃんが泣いてもミルクを飲ませてあげられないこと。どんどん大きくなるはずの時期なのに、手術を迎える日には体重が700gも減っていました」(ユウさん)