古くなった橋の改修工事を始めたら、第二次世界大戦中に廃止された路面電車の線路と石畳があらわれたとSNSで話題を集めている。場所はJR御茶ノ水駅の西側、千代田区と文京区にまたがるお茶の水橋だ。軍事用ではないため不要不急路線とされ廃止に追い込まれたものの奇跡的に残った路面電車の線路は、埋蔵文化財ではないため文化財保護法における保護の対象になっていない。貴重な歴史的資料の今後について、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
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鉄道を運行するためには運転士や駅員などの人件費、車両や線路、駅といった施設の維持費などが必要になる。そのため、未来の収益の見通しが立たなくなった路線は、公共交通機関としての役割をかんがみても廃止になることはあり、過去、いくつもの路線がそのような運命をたどってきた。
利用者減少によってそのような決断に迫られた過去の経緯をたどると、マイカーの所有率が上がったことも一因としてあるが、鉄道会社にとって沿線人口の減少が経営を厳しくしている最大要因とされる。沿線人口の減少は、鉄道会社に苦渋の決断を迫っている。
しかし、そうした経営的な判断とは別に、かつての日本では政府が半強制的に路線を廃止に追い込んだ過去がある。それが、1941年頃から段階的に進められた金属類回収令による戦時供出の結果としての廃止だ。
日中戦争から太平洋戦争にかけて、資源の乏しい日本は銃や弾丸の製造に必要な鉄や銅などの不足に悩まされた。武器類が不足すれば、勝てる戦争も勝てなくなる。それだけに、政府や軍部は武器製造を最優先とし、国民がいたずらに鉄や銅などを消耗することを許さなかった。