〈あの人が変わっちまったって騒いでるやつらがいるってのは知っちゃいますが、『あれ』で変わらなかった人間が、日本にいるんですかねえ〉〈全員の精神が一度、大きい力で一個のぐちゃぐちゃにされてから玉砕してさ、そのあとまぜっかえされてまたバラバラの人間にされた〉〈頭数さえ合ってりゃまだましなほうでさ、ねえさんもそう思わない?〉
「旧満州から帰った人の本を資料として読んだのですが、当時は復員詐欺などの犯罪が起きる一方、一刻も早く帰国したい人に善意で権利を譲り、名前を交換する人すらいたようです。貫一の場合は事情が違い、戦地での仕事内容が微妙に絡んでくるんですが、仮に彼の身分証明書類が本物であってもその人が100%本物だという証拠にはならない。
また『本物』に価値があるのは前提としても、模写された〈贋作〉に描かれた花の美しさは『偽物』なのかとか、本物か偽物かという基準だけでは測りえない不確かな世界を、私自身、生きている感じはします」
そうした足元の危うさを描きながら絶望に導かないのが、高山作品の特徴でもある。中でも時折旅先から金を送ってくる貫一の帰りを待つともなく待つタエが、夫の変装用の〈付け髭〉を付け、主人公の手を取って踊り出すシーンの抜け感や解放感は素晴らしく、ニセ髭もニセ夫も〈それが物としてあるのが大事〉と肯定できた時、〈私たちの間にあったのは、胸の苦しくなるほどの、とても、とても自由な晴れがましさだった〉。