他人の言動で動揺しやすく、あらゆる刺激に過敏、ちょっとしたことでも傷つき、そのことをなかなか忘れられない……。そんな気質を持つ「HSP(ハイリ-・センシティブ・パーソン)」と呼ばれる人たちの存在が注目されている。自他共に認めるHSPで、ある日突然巨大な借金を背負わされることになったあるサラリーマンの体験を綴った著書『小心者のままでいい 「臆病」「過敏」を強みに変える25の方法』(小学館)が話題だ。著者・湯澤剛さんに、その想像を絶する体験を聞いた。
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私には子どものころから「小心者」であるという自覚がありました。あらゆることが気になり、臆病で、ネガティブな感情を引きずりやすい性格です。争いごとがとにかく苦手で、たとえば買い物をしてもらった釣り銭が少々足りなくても、大体は何も言わずに店を出ます。こちらから何かを言って相手から強い反応を受けるのがイヤなのです。
学生時代は自分でそれを「弱さ」と捉えていましたので、何とか強くなれるように、アメリカに留学したり、空手を習ったりと多くのことに挑戦しました。
しかし、その反面負けず嫌いのところがありますから、サラリーマン時代は業務に邁進し、それなりに成功していました。ところがある日、居酒屋チェーンを創業・経営していた父が急逝、長男である私が突然会社を継がざるを得ない状況になりました。それまでまったく知らなかったのですが、会社の決算書を見て言葉を失いました。
そこにあった負債額は、40億円でした。
借り入れていたメガバンクの担当者は「どうやって返してくれますか」と連日のように迫ってきます。返せ、と言われても、私は単なるサラリーマンでずぶの素人、居酒屋ビジネスも経営も何もわかりません。そのころ店舗を回ってみると、板前たちは店もあけずに遊んでいたり、ホールスタッフもお客さまをほったらかしだったり、ひどい状況でした。
私ひとりでこれをどうしろと言うのか。会社自体が立ちゆかない状況なのに、何も知らない私に、どうやって40億円を返せというのか……。
そこから地獄のような日々が始まりました。あらゆる請求書が段ボールに山積みになっていく毎日。支払いを迫る電話が終日かかってくるオフィス……。苦しむ私に追い打ちをかけるように、店舗火災、食中毒事件などが起き、私自身の心身にも変調をきたすようになったころ、ある「事件」が起きました。
それをきっかけに、「これがどん底だ、これ以上落ちることはない」とふんぎりがつきました。そして、HSPの気質は生まれつきのもので仕方がない、また、その特性をプラスに転換することは可能、と知ってから、私の人生の巻き返しが始まりました。
徹底的に自分の思考をウォッチすること。それを頭の中からいったん出して見える化すること。最悪の場合を想定して起き得ることを書き出してみる。「行動チェックリスト」を作る……などなど、実際に試して効果があった思考法・ツールをまとめ、毎日必ず実践しました。
次第に、動揺を完全になくすことは不可能でも自分でコントロールすることができるようになり、家族や社員との関係も格段に改善されました。それと比例して業績も回復し、16年間で40億円を完済することができたのです。
今ではあの逆境に感謝していますし、あれがなければ自分を変えることはできなかっただろうと思っています。また、「小心者」だからこそできたことが多くありました。HSPの特性は間違いなく強みに転換できるのです。
完済までの逆転劇と、その体験の中で編み出した25のツール・思考法を、新刊『小心者のままでいい』で紹介しました。そのままでいい、あなたの特性は必ず力をくれる。そして、どんな逆境が訪れても、あきらめなければ必ず道は拓ける。そんなメッセージを、私と同じような特性を持ち「生きづらい」と感じていらっしゃる方々に届けられたら、と心から願っています。
◆撮影・浅野剛
【PROFILE】湯澤剛(ゆざわ・つよし)/株式会社ユサワフードシステム代表取締役。1962年、神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学法学部卒業後キリンビール入社。国内ビール営業を経て、ニューヨーク駐在、医薬事業本部海外事業担当などに従事、1999年、父の急逝を受け、株式会社 湯佐和を引き継ぐ。40億円という莫大な負債を抱えて倒産寸前だった会社を16年間かけて再生。2018年に株式会社ユサワフードシステムを設立。経営業以外に、これまでの体験を元にした講演活動なども行っている。