2015年に経営破綻してから5年、見事に復活を遂げたスカイマーク。今年には東証1部に再上場も果たす見込みだが、競争が激化する「空の覇権争い」で勝ち残るのは容易なことではない。ジャーナリストの有森隆氏が、新生スカイマークの今後を展望する。
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スカイマーク(SKY)は2019年10月、東京証券取引所に再上場を申請した。2020年4~6月にも東証1部に上場する見込みだ。
上場を機に、成長を求めてもう1度、国際線事業に挑むが、そのためには、羽田空港の国際線の発着枠を何としてでも手に入れたい。東京の玄関口である羽田国際線の発着枠の有無で、成長戦略が大きく変わるからだ。
至上命題である羽田の国際線発着枠確保に向け、2月13日、国交省からの天下り組を経営トップに据えた。同社顧問の洞駿(ほら・はやお)氏(72)である。この人事に伴い、市江正彦社長(60)は退任した。
洞氏は1971年、東大法学部卒。運輸省(現・国土交通省)に入省し、自動車交通局長、航空局長、国土交通審議官を務めた。2007年には全日本空輸(ANA)に転じ、2011年からANAの副社長。そして2018年7月、経営破綻したスカイマークの顧問となった。
◆「航空業界のホリエモン」が描いた青写真
時計の針を少し戻してみよう。SKYの設立 は1996年。起業したのは澤田秀雄・エイチ・アイ・エス会長兼社長である。だが、内心では「大変な業界に足を踏み入れてしまった」と後悔していた。
割安の料金でANAや日本航空(JAL)に対抗する「第三極」を目指して航空業界に華々しく参入したものの、当時、JAL、ANA、そしてJAS(日本エアシステム社、2002年に日航と経営統合)の寡占状態となっており、SKY潰しは苛烈を極めた。
SKYが飛ぶ時間帯に合わせて、東京─福岡線に半額運賃を導入。SKYを兵糧攻めにした結果、就航当初は80~90%だったSKYの搭乗率は、あっという間に40%台にまで急落。これで早期の黒字化は絶望的となった。
2000年5月、東証マザーズに上場。上場で得た資金で何とか一息ついたが、本業の収支は改善せず、雪だるま式に赤字が膨らんだ。あと1期、債務超過が続けば上場廃止になるという瀬戸際で、澤田氏は会社を西久保愼一氏に身売りしたのである。