3月1日に開催される東京マラソンは、今夏の五輪代表争いの“天王山”となる。昨年の選考レースで一敗地にまみれ、その雪辱を期すとともに代表の「最後の1枠」を目指すのが、2018年アジア大会のマラソン王者・井上大仁(27。MHPS)だ。オリンピアンを目指す選手たちの苦悩を間近で見てきた関係者に話を聞いていくシリーズ「東京五輪へ──私が見たアスリートの素顔」。今回は、井上の競技人生の全てを見てきた母・康子さんの大一番を前にした複雑な胸中を、ノンフィクションライター・柳川悠二氏が聞いた。
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東京五輪の男子マラソン代表を目指す井上大仁の母・康子さんは、昨年9月のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)を長崎県諫早市の自宅で見守っていた。長男の大仁は、このレースで2位までに入れば、東京五輪代表が内定する。
だが、息子の様子がおかしい。真っ先に気付いたのは、父・正文さんだった。「今日はダメだね」。スタートしてすぐ、そう囁いた。
「私はドキドキしながら見守っていましたが、主人は冷静だったみたい。マラソンの経験がない主人ですが、大仁が陸上を始めた中学の時からずっと走りを見てきましたから、フォームや醸し出す雰囲気に、何かを察したんだと思います」
レースは序盤、設楽悠太(28。ホンダ)が後続を大きく離した単独走をみせる。2位集団につけていた井上は、中盤に入ってずるずると後退していき、ゴールを切ったタイムは2時間22分10秒──。完走した27人中、まさかの最下位だった。井上の競技人生で最下位を走ったことなど、初めてのことだった。
「ほとんど画面に映ることなく、レースが終わってしまった。本人も最初は『何がなんだかわからなかった』とコメントしていたようですし、結果が結果なだけに、自暴自棄になっているんじゃないかと私も心配になりました。東京五輪の出場権を争うMGCに関しては、何より2位以内に入ることが重要でした。だから、彼へのLINEにも、『MGCは4位もビリも、結果は一緒なんだから次また頑張ればいいじゃない』と励ましのメッセージを送りました」
MGCにおいて、2018年アジア大会(ジャカルタ)の優勝者である井上は、2位で東京五輪が内定した服部勇馬(26。トヨタ自動車)、2時間5分50秒という日本記録保持者の大迫傑(28。ナイキ)、前日本記録保持者の設楽と共に「4強」の一角に位置づけられていた。だが、MGCを制したのはいわば“伏兵”の中村匠吾(27。富士通)で、2位に入った服部と共に代表に内定した。