「政府の大本営発表しかなかった“あの時”とは違い、今回はある程度、現地で医師や検疫官が戦っている様子が伝えられている。過酷な環境や肉声を知ってもらい、応援してもらえることが最前線で働く人間にとって一番の支えです」
こう語るのは、9年前の東日本大震災において「放射能」という見えない恐怖に立ち向かった福島第一原発の作業員「フクシマ50(フィフティー)」の1人である。
震災発生直後、福島第一原発には東京電力や協力企業の作業員約800人がいたが、相次ぐ水素爆発や火災を受け、東電は退避指示を出した。そんななかで現場に留まった50~70人や翌日以降に投入された作業員など、初期段階で対応にあたった人々は、海外メディアなどから「フクシマ50」と称賛された。
彼らは、9年前の最前線の過酷さを今でも鮮明に記憶している。事故当時、原発で作業した東電社員が語る。
「現場では被曝の恐怖に加え、肉体的な負担も大きかった。現地の対策本部となった免震棟は人で溢れ、その辺の床に座って休んでいました。それでも誰も『帰りたい』といった泣き言は言わず、必死に働いていた。私も消防車を通すために、道路に溢れた瓦礫を撤去しました。今思えば国を守るという正義感よりも、私がやらなければ前に進まないという責任感が強かったと思います」
「フクシマ50」同様、今回の新型コロナウイルスとの戦いにあたった現場の医療従事者らの氏名が表に出ることはほとんどないだろう。それでも、彼らは現場から逃げない。
「医師や検疫官たちは不安や不満を抱えながらも、患者や乗客と責任感を持って接しているでしょう」(同前)
見えない脅威に立ち向かえる強い意志を持つ人たちの存在に、一人ひとりが思いをはせたい。
※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号