開幕まで半年を切った東京五輪。ニッポンのお家芸である柔道の男子73kg級で期待を集めるのが、リオ五輪金メダリストの大野将平(28)だ。同階級の代表争いを大きくリードする大野だが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。新シリーズ「東京五輪へ──私が見たアスリートの素顔」では、メダリスト候補たちの苦労を間近で見てきた関係者に話を聞いていく。大野の歩みをよく知る大学時代の恩師にノンフィクションライター・柳川悠二氏がインタビューした。
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8年前の2012年8月2日、ロンドン五輪の柔道会場の外で、私は建築士を目指しているというひとりの青年に出会った。この日、男子100kg級に出場する友人の穴井隆将(35。現・天理大柔道部監督)の応援にひとりでやってきたという。
しかし、彼は観戦に肝心のチケットを持っていなかった。ダフ屋から手に入れる予定が、厳しい当局の取り締まりによってダフ屋の姿がまるでなかったのだ。途方に暮れている間に、100kg級の優勝候補の一角と目されていた穴井は2回戦でまさかの一本負けを喫し、敗者復活にも回ることなく、初の五輪を終えた。その一報を会場の外にいた青年に伝えると、呆然としてしばらく言葉を発せず、「勉強をかねて、ロンドンの建築物を回ってから日本に帰ります」と肩を落としていた。
五輪には魔物が棲む──五輪の度にそう囁かれてきた。2000年のシドニー五輪を圧倒的な強さで制した井上康生ですら、日本選手団の主将として臨んだ2004年アテネ五輪ではメダルにさえ手が届かなかった。
初出場の五輪の大舞台で、失意の結果に終わった穴井は、2013年の全日本選手権優勝を最後に第一線から退き、天理大の副監督、そして2014年からは監督に就任し、今日まで過ごしてきた。最初で最後の五輪の畳を、穴井はこう振り返った。
「私は魔物なんていないと思います。その日、誰よりも活躍した選手が金メダルを手にする。ただ、実力以上の力が出ることもあるし、普段の実力がまったく出せなくなるかもしれない舞台でもある」
母校の指導者に転身した穴井にとって、師として、あるいは兄貴分として温かく接してきた柔道家が、天理大の卒業生で、現在も同大の道場を練習拠点としている大野将平(旭化成)である。
「初めて会ったのは、東京の(古賀稔彦や吉田秀彦らを輩出した柔道私塾である)講道学舎から天理大に入学してきた頃(2012年)でした。その頃は柔道が荒々しく、激しく、血気盛んに戦うイメージでした」
大野は在学中の2013年と2015年の世界選手権73kg級を制し、その圧倒的な強さと、常に一本を狙い続ける「柔道の申し子」たる姿勢を国際柔道連盟も評価し、その名は世界に広まってゆく。