1992年、団塊ジュニア世代(1971~1974年生まれ)の大学受験者数は18歳人口が205万人になりピークを迎えた。受験すべてが不合格になる「全落ち」も珍しくない中、手堅く国公立大学に進学し、就職氷河期のなか公務員試験に合格して社会に出た人はいわゆる「勝ち組」のはずだった。ところが、思い描いていたような成功ではなく失敗したかもしれないと悩む人が少なくない。うまく中年になれなかったと鬱屈する彼らを「しくじり世代」と名付けたのは、『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏。今回は、現役で大学に合格し新卒で公務員となった45歳既婚男性についてレポートする。
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「じつは毎月の返済が苦しいんですよ。なにかバレない副業とかありませんかね」
都内の小さな貸会議室で、山中秀人さん(仮名・既婚45歳)は小さな体をさらに小さく折り曲げ、うなだれてしまった。私は子なし夫婦の取材も別企画で続けていて、そのために来ていただいたのが山中さんだったが、オタク話に花が咲いたついでに「しくじり世代」の企画にも応じてくれた。
「子供のころから物欲を我慢できませんでした。親も成績が良ければなんでも買ってくれましたし、見返りがあるのは当たり前と思っていました」
山中さんは地元の名門公立高校から国立大を卒業して市役所に就職した。
「地元で私はエリートです。名門公立高校から国立大を出て公務員というのは地元じゃみんな憧れます。ましてやあの受験戦争真っ只中、そんな一人息子を持つ両親も私のことは自慢です」
声は小さいが言葉のはしばしに自信がのぞく。確かにあの時代、それだけの難関レールをストレートに制覇したのは凄いことだ。
「両親はマイホームが欲しくて、いま住む県に引っ越したそうです。私が3歳のころです。小学校は同じような余所から来た子ばかりで、数では土着の子を完全に圧倒してました。一時間半かけて電車通勤ってお父さんを持つサラリーマンの子ばかりでした」
1974年まで続いた第二次ベビーブームの影響で子供の数が増え続け、全国各地で学校の教室が足りない現象は1980年代も続いていた。私も小学1年生のときには入学児童が多すぎて、一部はプレハブの仮設校舎で授業を受けた。翌年に小学校が新設されて分割されても1学年9クラス、教室には45人の児童がぎっしりと座っていた。いまでは一学級あたり30人程度の学校が多いことと比べるとずいぶんな詰め込みようだった。