雪に覆われた帝都・東京で起きた「二・二六事件」から85年目を迎える今年、新たな証言や資料に注目が集まっている。『置かれた場所で咲きなさい』などの著書で知られるシスター渡辺和子の父、渡辺錠太郎・陸軍教育総監(大将)は、杉並区荻窪の自宅で30名ほどの陸軍将兵に襲撃され、命を落とした。その渡辺大将暗殺には、数々の“因縁”がある。
まず、襲撃部隊には、かつて渡辺大将が指揮していた歩兵第三連隊(歩三)に所属する兵士たちが参加していた。そのため、侵入してきた兵の襟章を見た渡辺夫人は、「歩三」に偽装した中国兵が襲ってきたのかと錯覚した──という長女・政子の証言が残っている。
◆自ら装備を主張した機関銃で殺害
また、襲撃部隊は、拳銃のほかに4挺の軽機関銃と10挺の小銃を所持していた。陸軍でこの軽機関銃の装備を訴えたのは、ほかならぬ渡辺大将だったという。同じく政子の証言。
〈皮肉なことにはあの軽機関銃の採用は、父がその必要性をはげしく説き、それが入れられて日本の軍隊でも使うことになったものでございますよ。父は第一次世界大戦をオランダで見て、戦後ドイツの日本大使館にいたのですが、武器の発達をつぶさに見て、帰国後、その採用かたを具申したのでございます。[中略]自分が採用かたをいった軽機関銃に自分がやられる。それも機関銃というのは、外で使うべき武器なのに、それをあの将兵たちは十メートルもはなれていない部屋の中で使い父をうったのです〉(有馬頼義著『二・二六暗殺の目撃者』読売新聞社)