古今東西、女性の裸体は芸術表現で欠くことのできないテーマだが、見せる側の女性にとって、肌を晒す行為は一大決心だ。将来を期待された女優たちはなぜ若さあふれる裸体を晒したのか? 5人の美女が語る。
原悦子は1956年生まれ。新潟県出身。テレビCMなどで活躍後、1976年に『平凡パンチ』でグラビアデビューし、ピンク映画から日活ロマンポルノに活動の場を移し、絶大な人気を獲得する。1980年に日活ロマンポルノ女優を引退した後は、大学生向けの大学情報誌の編集長に転身した。
「幼い頃にフランキー堺さん主演の『私は貝になりたい』を見てから、いつかスポットライトを浴びたいと思っていたんです。女優になる覚悟でこの世界に入った私にとって、濡れ場を演じるのは当然のこと。抵抗はありませんでした。
ピンク映画に出演して人気が高まった頃、日活ロマンポルノにスカウトされました。朝早く撮影現場に入って、家に帰るのは夜遅く。撮影中は毎日忙しく、3時間しか眠れない日もありました。私、ファンには本当に恵まれたと思っています。大学生を中心に若い人たちもファンについてくれて、武道館でサイン会を開催したのはいい思い出です」(原)
三崎奈美は1955年生まれ、京都府出身。証券会社に3年間勤務した後、1977年に女優デビューを果たす。デビュー作となった東映映画『処女監禁』での体当たりの演技は大きな話題を呼んだ。その後、日活ロマンポルノやテレビドラマなどに多数出演。引退後、1996年に結婚している。
「今の女優さんって、脱いだり水着になったりする時に、ジムで体を絞って準備するからスゴイと思います。当時の私といえば“ノリ”だけでした。呼ばれたところに行くという感じで、デビュー作から特に何も考えずに脱いでいましたから。
私、童顔で胸が大きいというだけで、自分ではあまりかわいいとは思っていませんでした。でも、後から映画やグラビアを見ると、「私、こんなに輝いているんだ」と驚きました。嬉しかったんです、私という存在をキレイに作ってくれることが。映画や雑誌でたくさん脱いできましたけど、私にとってあの頃は、全部宝物のような時代です」(三崎)