84歳で亡くなった故・野村克也氏は、プロ野球指導者たちに多くの教えを遺した。投手コーチとして阪神や楽天などで野村監督を支えた佐藤義則氏も薫陶を受けた一人だ。佐藤氏が思い出を振り返る。
* * *
野村さんといえば、阪神の秋季キャンプで1か月だけ一緒に指導させてもらったことと、楽天監督時代に私をコーチとして呼んでくれたことが良き思い出ですね。
野村さんは「アイディアを持っているのが良いコーチ」という考えを持っていました。阪神のとき、1年目の藤田太陽のコントロールをなんとか矯正しようと、片足で投げるなどの色んな投げ方でストライクを取る練習をしているのを面白がって見てくれていましたね。
〈2001年10月、佐藤氏は野村監督の要望で阪神の投手コーチに就任。しかし野村氏は直後、沙知代夫人の脱税が発覚し12月に監督辞任。阪神に残った佐藤氏は井川慶らを育て、2003年に星野仙一監督の下で阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導く。〉
奥さんの脱税事件で野村さんは阪神を辞めることになり、結局阪神では一緒にシーズンを戦うことができなかったんだけど、在任中は私と木戸(克彦)と3人でいつも晩飯を一緒に食べながら野球の話をしてくれました。葛西(稔)も交えて4人のときもあったかな。自分がテスト生で入ったときの話や南海時代の話、いつも難波で飲んでいた話、キャッチャーの配球面のこととか、飲みながら色々と教えてもらって、本当に楽しかったですよ。
ただ話が長くなることが多くて、監督から逃げるにはどうしたらいいかって木戸と相談した。それであるとき監督を交えて、木戸とジョッキで焼酎をガンガン飲み始めたら、「おまえらとはつきあえない、帰る」って、すぐに切り上げたことがあった。木戸と顔を見合わせて「これだ!」って言い合ったっけ。
〈2005年、佐藤氏は日本ハムの投手コーチとしてダルビッシュ有を育て、日本一になる。2009年、再び野村監督に呼ばれ楽天投手コーチとして田中将大らを育成する。その後、田中はシーズン24勝0敗の記録を作り、楽天の日本一の原動力となった。〉
野村さんが楽天の監督になってまた俺を呼んでくれたんです。秋のキャンプのミーティングで「今年のドラフトの成功は、佐藤が来てくれたことだ」と皆の前で言ってくれたのが、すごく嬉しくてね。1年間野村さんの下でしっかり野球を教わることができました。