1970年3月15日午前9時30分、日本万国博覧会(通称:大阪万博)が開幕した。183日間で6421万人以上が訪れた大阪万博の入場者数は、2010年の上海万博に抜かれるまで、万博史上の最高記録を保持した。高度経済成長期で生活に少しゆとりのできた日本人にとって、会場で目にするものは何もかもが目新しく、驚きの体験だった。それは1964年の東京オリンピックに続く、明るい“戦後の事件”だった。
計116あった国内外のパビリオンなどから、代表的なものを紹介する。
●大きく口を開けて笑っているように見えるガス・パビリオン。
●黒川紀章設計の東芝IHI館は、その不思議な外観から“万博のゴジラ”とも呼ばれた。
●ファッショナブルな制服を着た各パビリオンのホステスも人気に。
●1972年に五輪開催を控えていたミュンヘン市館。600席のビヤホールでは音楽演奏やビールの早飲み大会も行われた。
●来場者用のタクシーやパトロールカーとして、1967年に高性能電気自動車を開発したダイハツ工業の車両が採用された。タクシーの速度は時速6~8キロだった。
●アメリカ館は万博最大級の展示館であり、7つの展覧会を開催。中でも、1969年7月に初めて月面着陸に成功したアポロ計画を大々的に取り上げ、アポロ12号が持ち帰った「月の石」の展示には行列が絶えなかった。
●当時、冷戦を背景にアメリカと競ったソ連館の目玉は、宇宙開発の展示だった。高さ80メートルの吹き抜けに飾られた、人類初の宇宙飛行に成功したユーリ・A.ガガーリンの肖像、人工衛星、宇宙船などに観客は目を奪われた。
※週刊ポスト2020年3月27日号