ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞92年の歴史の中で、今年、アジア映画として初めて作品賞を受賞。世界にそのスゴさを印象づけた。しかし、振り返ってみれば、2010年以降でも、パルムドール3作品、ベルリン金獅子賞2作品など、アジア作品はとっくにすごかった! 新型コロナウイルスの拡大で外に出歩きづらい昨今、自宅に籠もってアジア映画三昧はいかがだろうか。
アジアの映画が世界で注目されるようになったのは、「1951年に黒澤明監督(享年88)が『羅生門』でベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞し、国際的な評価を得たことが大きい」と、日本映画大学学部長の石坂健治さんは言う。
「その後も今村昌平監督(享年79)が『楢山節考』でカンヌ国際映画祭のパルムドールをとるなど、海外でも日本映画がよく見られていました。しかし、アジア映画は農村など人々の暮らしを描いたものが中心で、スペクタクルが目立つハリウッド映画に対し、アジア映画は小じんまりしたものでした」(石坂さん・以下同)
1980年代半ばになると自らスタントをこなす香港の俳優ジャッキー・チェン(65才)がアジアのトップスターに。
「この時代、香港はまだイギリス領だったため、自由に映画が作れる環境にあったこともあって映画産業が発展。香港に限らずインドもイギリス、フィリピンはスペイン、アメリカ、ベトナムはフランスと、アジアの多くは植民地だった歴史があるため、それぞれが支配国の影響を受け、ハリウッドとは違う独自のスタイルが生み出されました」
1990年代に入ると、アジア諸国も経済が発展。映画の予算も潤沢に。日本では『踊る大捜査線THE MOVIE』(1998年)、韓国では『シュリ』(1999年)のようなスケールの大きい作品が作られるようになる。
そして2001年にはワイヤーアクションを使った台湾のアン・リー監督(65才)の『グリーン・デスティニー』(香港、中国、台湾、アメリカの合作)が、アカデミー賞外国語映画賞を獲得する一方、フィリピンやインドネシアでは独裁政権からの解放で、表現の自由が認められた。
「それにより、若い才能が自由に活躍できるようになり、特に東南アジアではパワーのある作品が誕生しました」
※女性セブン2020年4月9日号