五輪延期が決まった後に浮上してきた感染爆発の恐れ。中国との“時差”をどう捉えるべきか。現地の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏がレポートする。
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政府は26日、改正新型インフルエンザ対策と靴措置法に基づく政府対策本部を設置。これにより緊急事態宣言が出される可能性も出てきた。これは、3月25日から2日続けて1日の新たな感染者数の記録を更新したことを受けた動きで、厚生労働省は、「蔓延の恐れが高い」との報告を総理に行った。
25日はすでに、小池百合子東京都知事が会見で使ったオーバーシュート、ロックダウンという言葉が独り歩きし、慌てた人々が都内のスーパーマーケットで買い占めに走る現象も明らかになった。翌日には、菅官房長官が「食料品は十分な供給能力がある」と説明したが、買い占めが収まる気配はない。テレビのニュース番組では空になった商品棚の映像が流され続け人々の不安を煽った。
これはある意味、1月下旬の武漢の再現に近い。
だが、武漢ではモノ不足やそれにともなう物価の高騰は、いまから考えれば限られた時間の中で解決されていた。中国はこの期間、豚肉は1斤(500グラム)10元(約150円)、野菜を10斤10元程度に保つことができたと胸を張った。
いったい、どうやったのか。明らかになっているのは、政府備蓄を放出した作用だ。
まず武漢政府は、蓄えていた冷凍豚肉を3月4日に200トン以上、市内150の拠点を通じて流通させた。19日にはさらに5000トンを流しているというのだ。
それに加えて機能したのが、九省聯保聯供機制という緊急事態に備えた各省間の相互扶助システムである。武漢は1月23日の封鎖直後から山東、華南、安徽、江西、湖南、重慶、広西、雲南の八省・市との間でこれを結び、機能させた。結果、3月19日までの間に食料品などの物資が6.2万トン、野菜類は5.2万トン、冷凍肉も3000トンが武漢に運び込まれた。
これに加えて中央政府が2月14日に1.4万トン、27日に2万トン、3月13日1.7万トンの冷凍肉を支援している。中央からの支援は食糧品にとどまらず、生活物資1.86万トン、石油など1.2万トンが3月18日までに運び込まれたという。
武漢の経験からは、学ぶべきところもあるのだろう。