2011年3月11日に起きた東日本大震災は、いまだ復興の途上にある。福島への医療支援を続ける諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、今も続く震災について綴る。
* * *
東日本大震災から9年が経った。途切れていたJR常磐線の富岡-浪江区間が開通し、震災以来はじめて全線がつながった。日本テレビの311特別番組の取材で、2月末の訓練運転の列車に乗り、車窓から沿線の復興ぶりを見ることにした。
富岡町は一部に帰還困難区域を抱えているが、2017年4月に避難指示が解除され、居住が許される地域ができた。5年前はゴーストタウンだったが、今は人の気配が感じられた。
福島第一原発が立地する双葉町は、駅前を含む一部区域が3月4日に解除。駅前には、2022年春の避難解除を目指す特定復興再生拠点区域として、双葉町の相談所を開設させるなど復興に向けての準備が始まっていた。しかし、町の96%は今も帰還困難区域である。
◆今も教室に散乱するランドセル
福島第一原発から北西約3キロの地点にある双葉南小学校にも、許可を得て入った。空間線量計は0.18マイクロシーベルト/h。除染が終わっており、ほかの双葉町の地域に比べれば数値は低い。
教室の中に入り、呆然とした。あちらこちらにランドセルや体操着などが散乱している。大地震直後の混乱ぶりが生々しく伝わってきた。
9年前の3月11日14時46分。大きな揺れが襲う。子どもたちは日ごろから避難訓練をしていたが、このときは身を隠す机がなかった。終業式を間近に控え、教室の床にワックスがけをするため、机は廊下に運び出されていたのだ。