現代日本では、生きるうえでの悩みや不安に応えるものとして、2500年前の「ブッダの言葉」がたびたび話題になる。作家で仏教研究家の平野純氏によると、仏教はその歴史において変貌し続けているが、仏典(仏教の聖典・経典)に記されたその言葉からは、核心となる思想が読み取れるという。どんな思想か。
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いまの日本では、日常生活のなかで死者と出会うことはまれですが、2500年前のインドでは、死体を目にするのにわざわざ墓場に足をはこぶ必要はなかった。それは文字通り、身近にあふれていたからです。
ブッダが実際にどこで「人生最初の死体」を目にしたかはわかりません。ただ、その体験により今日でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)をわずらったとみられる出来事(*編注)は、のちに仏教の思想の形成に大きな意味をもつことになりました。
【*編注/仏典の多くに、「古代インド・シャカ国の王子として不自由なく暮らしていたブッダが、外出した際に老人、病人、死人の姿をそれぞれ目撃したことでショックを受け、後の出家のきっかけになった」旨が記されている】
仏教のもつ思想の核心を一言で表わせといわれれば、さまざまな答えがでてくるでしょう。仏教の歴史は変貌の歴史です。仏教はその誕生から今日まで2500年のあいだにひとつの宗教の名のもとにくくるのがもはや困難なほど多様化、ときには「何でもアリ」と思えるほど中味を拡散させました。
ただ、ここで焦点をすこし絞り、ブッダ個人の思想の核心にあるものを一言でいえといわれれば、それが「無常」の教えであると答えることに異論をとなえる人は少ないでしょう。
「無常」とは「ものは一瞬とおかず絶えず変化してゆくこと」を意味します。それは仏教徒にとって「言葉を超えた真実」として感受されるものです。