映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優の渡辺えりが十八代目中村勘三郎との思い出について語った言葉をお届けする。
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渡辺えりは一九八七年のテレビドラマ『ばら色の人生』で十八代目中村勘三郎と共演。それ以来、友情関係を築いてきた。
「本当に親友ですね。初めて会った時から気が合って、芝居の話を毎日していましたから。
楽屋でも話して、それでも足りなくて哲明さん(※勘三郎の本名)のうちまで行って喋っていました。芝居の話しかしていません。あれだけ芝居が好きで熱がある人も珍しい。凄く貪欲にいろんなことを聞きにきて、『こっちの方がいいんじゃない?』と言うと、すぐにその場で直す柔軟性もあって。
お会いした頃に哲明さんが言ってたのは、『歌舞伎以外の人を歌舞伎座に出す』『ニューヨークで歌舞伎をする』『テントで歌舞伎をする』の三つでした。できるのかな、と思っていたら、その三つとも五十を過ぎて実現しているんですよね。
テントについては、太地喜和子さんに唐十郎さんの芝居に連れていってもらってショックを受けたそうです。元々は歌舞伎もそういうものだったと。つまり、歌舞伎もかつては現代劇で、唐さんみたいにやっていた。だから自分もいつか──と考えて始まったのが平成中村座でした。
その時、『だんまり』のシーンを真っ暗にしてやっていたんです。でも、これは明るい中で所作を見せるシュールさが魅力で、リアルにやるなら、なくていいわけです。そのことをお話ししたら、『そうだね』って、次から変えてくれるくらい、私のことを信頼してくれていました」
舞台『有頂天作家』の東京公演は中止となったが、新橋演舞場で公演されるはずだった。