大規模な再開発が進む東京・渋谷駅周辺。それをリードするのが東急だ。田園都市線や東横線など人気の沿線を擁する東急は、いまや鉄道経営にとどまらない多様なビジネスに舵を切っている。そのビジョンを高橋和夫社長(63)に訊いた。
──このシリーズではまず、平成元年(1989年)当時の仕事を伺います。1989年と言えば、東急グループ総帥だった五島昇さんが亡くなった年でもあります。
高橋:私は1980年に東急電鉄に入社しました。最初にバス事業部門に配属され、その後も長きにわたりバス事業に携わってきました。
特に印象に残っているのが、1991年の東急バス分社化です。1989年は、まさに分社化に向けた準備に奔走していた頃です。当時のバス事業は赤字が続き、従業員を代表する労働組合の発言力も非常に強い時代でした。路線の改廃もままならないような状態でした。当時、東急電鉄全体の業績が良かったこともあり、ベースアップも行なわれますから、バス事業の厳しさは増していくばかりでした。
そのため事業としての自立を促すべく「分社化」という手段がとられたわけですが、労働組合の反発も小さくはありませんでした。丁寧に粘り強く対話を重ねていきましたが、従業員に理解を得るには一定の時間が必要だったと思います。今振り返ると、あの時さまざま苦労したことが大きな経験になっています。
──まさにバブルが弾けた時期ですね。
高橋:私は一貫してバス事業に携わっていましたので、バブルとはあまり縁がありませんでしたが、東急グループ全体では、バブル崩壊は大きなターニングポイントだったと思います。1980年代まで国内外に急拡大していた事業を、1990年代には縮小せざるを得ませんでした。
2000年代前半にようやくグループ再編を完了し、その後は現在の渋谷エリアの大型再開発など成長戦略へとあらためて舵を切ることになっていきます。
◆新宿・歌舞伎町も変える