仏教の開祖・ブッダが古代インドで教団を立ち上げたとき、周囲の目にはどう映ったのか。作家で仏教研究家の平野純氏が、古い仏典の記述から解説する。
* * *
『マッジマニカーヤ』という経典集に、修行者時代の苦闘の日々をブッダ自身が回想した言葉がでてきます。
〈修行中のある日、わたしは夜の墓場に入り、散らばっていた骸骨を枕にして眠りをとっていた。するとそれをみつけた牛飼いの子供たちが近づき、ツバを吐いたり、放尿したり、汚物を投げたり、耳の穴に棒をさしこんだりした〉(筆者による現代日本語訳)
子供は大人の鏡、ブッダが当時のインド社会からどのようなあつかいをうけていたかを如実にしめす逸話ですが、いずれにせよブッダの墓場への関心が無名の修行者時代から早くも芽生えていたことがわかります。
墓場への関心とはつまるところ死体への関心のことです。それは、ブッダ個人の試行錯誤をへて、教団を結成してからは墓場での死体観察、「不浄観」の修行として弟子たちに引き継がれることになりました。
同じく古い経典集である『スッタニパータ』には、〈ブッダの修行者は、世を厭うて人気(ひとけ)のない座所や樹下や墓場を愛する〉というある修行者の言葉がでてきます。「不浄観」の修行はこうしてブッダの教団の売り物のひとつともなりました。
一方、ブッダの生涯は、異端の師としてヒンドゥー教(インドの支配宗教)とのあつれきの連続でした。実際、筋目の正しいヒンドゥー教徒、バラモンたちの目には、昼となく夜となく墓場をうろついてはいりびたるブッダと弟子たちの群れはさぞ不気味なものに映ったことでしょう。
それやこれやで、この頃、ヒンドゥー教徒がブッダたちにつけたありがたくないあだ名があったことが、ヒンドゥー教の文献にでてきます。
〈死体愛好集団〉──。異端に対するレッテル貼りはどの宗教にもあることですが、ここには突如として現われた、えたいの知れない新興教団の教祖・ブッダへの違和感や侮蔑感情がよくでています。
●平野純・著『怖い仏教』(小学館新書)を一部抜粋のうえ再構成