4月23日、女優の岡江久美子さんが新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった。63歳だった。突然の訃報に驚きと悲しみの声が広がっている。岡江さんが薬丸裕英とともに司会を務めた午前帯の『はなまるマーケット』(TBS系)は、日本のテレビ史を変える大きな役割を果たしたという。テレビ史研究家でライターの岡野誠氏がその功績を振り返る。(文中敬称略)
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1996年9月の開始当時、午前中のワイドショーは芸能ニュースや事件をメインに扱っており、生活情報に焦点を当てる番組は異例だった。『はなまる』は当初、視聴率3%台の日も珍しくなく、薬丸は「半年で終わる。“つなぎ”だからと言われた」とのちに明かしている。しかし、年が明けると、6%台を記録するようになり、徐々に波に乗っていく。
そして1998年5月26日、従来の常識では考えられないことが起こる。各ワイドショーが前日に電撃挙式をした松田聖子を大々的に取り上げる中、『はなまる』が節電をテーマに放送すると、当時歴代最高の11.1%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)を叩き出す。日本テレビ『ルックルックこんにちは』10.5%、テレビ朝日『スーパーモーニング』8.4%、フジテレビ『ナイスデイ』6.6%と、他局を抑え同時間帯トップに立ったのだ。
松田聖子のニュースバリューが下がっていたわけではなく、前日の午後2時台のワイドショーでは視聴率が倍増しており、26日の朝のワイドショーも前週に比べ、数字が上がっていた。前日から、どのチャンネルでも同じような内容を取り上げていたため、『はなまる』の需要が増したのだろう。
同番組は生活情報を伝える『とくまる』、ゲストとのトークコーナー『はなまるカフェ』、エプロン姿で一般主婦が参加する『クイズママダス』を軸に、岡江と薬丸のコンビが絶妙な進行を見せ、その後も安定した視聴率を残していった。