コンクリート打ちっぱなしの壁をランプの灯りがやわらかく照らす。デスクには便せんと万年筆が、手入れが行き届いたチェアには毛皮のコートがいまも掛けられたままだ。振り向くとすぐ手の届く位置に腰高のそのチェストがあり、本の背表紙が規則性なく並んでいる。生前は引き戸が閉められ、そこに本が収められていることを知る人はほとんどいなかったという。
書斎はいまも樹木希林さん(享年75)の空気をまとったままだ。言葉にこだわりを持ち、言葉の力を信じていた樹木さんは大の読書家でも知られた。しかし、自宅に遺されていたのは、100冊だけだったという。
本や雑誌は気づけばたまっていく。読書家の中には一部屋まるごと本棚という人も少なくない。樹木さんと40年以上にわたって親交がある椎根和さん(しいね・やまと 78才)と典子さん(75才)夫妻はふとたずねたことがあるという。
「十数年前、希林さんの自宅に遊びに行ったときですね。和風と洋風の部屋、2つも書斎があるのに書棚が見当たらない。大の読書家なのにどうしているのかと不思議だったんです」(椎根さん)
すると樹木さんは「長年守っているのだけれどね」と1つのルールを打ち明けた。
「100冊以上は家に置かないの。新しく気に入った本、手元に置きたくなった1冊ができたら、100冊のなかの1冊を人にあげてしまうの。だから、いつも100冊」
本だけではない。樹木さんは自宅に余計なものを置かなかった。椎根さんが続ける。
「しかも、生前、希林さんはこれまで誰にもこの本棚のことを教えたことも、見せたこともなかったそうです。その100冊を借り受け、夢中で読みました。
引かれた赤線の一本一本、挟まったままの手紙や写真、余白の走り書きに彼女の息づかいを感じさせられた。繰り返し読んだのか水分を吸ったようにふくらんでいるものもありました」(椎根和さん・以下同)
樹木さんが遺した100冊──その中には飄々と淡々とした存在でいながら「自分らしく」「それなりに」軸のぶれない生き方を貫いた樹木さんからのヒントが見え隠れする。そんな椎根さんは、樹木さんの遺した100冊と彼女とのエピソードを『希林のコトダマ』(芸術新聞社)にまとめた。そこには、夫・内田裕也や娘の内田也哉子らの本も含め、厳選した100冊が紹介されている。
※女性セブン2020年5月7・14日号