2020年東京五輪が新型コロナウイルスの世界的流行によって一年延期となったことで、五輪を目指していた多くの選手の運命が変わるかもしれない。今から40年前、1980年のモスクワ五輪を政府がボイコットし不参加となったことで、当時の五輪代表選手や日本のお家芸と言われた競技の運命も変わらざるを得なかった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、五輪ボイコットによって運命が変えられた日本のお家芸であるレスリング、柔道、体操についてレポートする。
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モスクワ五輪不参加によって、いっそう五輪の魔力に取り憑かれてしまったのがレスリングの太田章だ。太田は早稲田大4年次に、わざと卒業論文を提出せず、留年してモスクワに備えた。太田にとっては「泣いても泣いても泣ききれないボイコットだった」と明かす。
「その悔しさがあったから、私は五輪に二度も三度も挑戦し、結果的にロス、ソウル、バルセロナと3大会に出場、そのうち2大会で銀メダルを獲得できた。それでも満足できず、39歳で迎えるアトランタ五輪の予選まで挑戦しましたからね。それぐらいオリンピックには魔力、魅力がある」
かつて男子レスリングは、柔道や体操、バレーボールと共に日本のお家芸だった。1984年のロサンゼルス五輪では、モスクワの代表だった高田裕司が銅メダル、入江隆が銀メダル、富山英明は金メダルに輝いた。だが、レスリングやバレーボールはモスクワ以降、国際的な競技力を徐々に失っていく。
現・早稲田大スポーツ科学部教授の太田は言う。
「当時、新旧交代がうまくいっていなかった。モスクワに出場できなかったことによって、1980年の時点で本来辞める予定だった選手が現役を続け、若手が育たなかった」