映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・小松政夫が植木等の付き人から独立したころの思い出について語った言葉をお届けする。
* * *
小松政夫は一九六七年に植木等の付き人から独立、一本立ちした道を歩むようになる。
「弟子とか付き人とは、どのくらいやるものなのか。卒業というのはどういう日を迎えることなのかと漠然と考えていました。
三年十か月目になった頃、植木の車を運転していたら『お前な、この間、社長のところへ行くから待っていてくれと言って待たせたことあったな』と言ってくるんです。そして『あの時な、実はお前の話をしたんだよ。あの男を渡辺プロにタレントとして契約してやってくれと。給料もマネージャーも待遇は全て決めてきたから、明日からもう来なくていいよ』って。
涙がワーッと出ちゃって。ワイパーが欲しいと思ったくらい。運転して危なくてしょうがないから、車を停めさせてもらってハンドルを持ったまま泣きました。それから少ししたら、植木がまた粋でね。『俺も急がないけど、そろそろ行くか』と。
植木の家に帰ると、私のためにスーツを作ってやろうと仕立て屋を呼んでいたんです。
縫い合わせる前に裏地に名前を刺しゅうするんですが、芸名の『小松政夫』を入れるか本名の『松崎雅臣』を入れるかで迷っていたら、植木が珍しくムッとした顔をしているんです。
『なぜ松崎と入れるんだ?』『おこがましいと思って』と答えたら、『おこがましいもクソもあるか。お前は小松政夫じゃないか、俺は小松政夫に作ってやったんだ』って。不愉快そうな顔を初めて見ました」
独立後すぐ、『今週の爆笑王』というTBSのバラエティ番組の司会を任されることになる。