放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、高田氏の本棚から、喜劇人たちへの想いをお送りする。
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無駄に明るい団塊世代の東京っ子。こんな私でもこの世の中にはちと虚無的にもなる。本棚ひっくり返していたら、山頭火と共に自由律俳句で今も暗い人気の尾崎放哉の句が出てきた。まさに今の時代だ。
“咳をしても一人”。ゴホンと言えば龍角散。ご本といえば小学館、とも言える。放浪の俳人である。
“こんなよい月を一人で見て寝る”。離れて一人で見るのをテレムーンとでも呼ぶのか。それもこれもコメディアン志村けん、ある意味コメディエンヌでもあった岡江久美子を早くして失なった日本人の心が皆な切ないのだ。
私はよくラジオでも言うのだが、「人の死は、楽しませてくれた分だけ悲しい」。100笑わせてくれた人は100だけ悲しい。大して笑わせてくれなかった芸人や作家は死んでも大して悲しくない。私にとって喜劇人の死というのはとてつもなく辛い。沢山笑ってきたからだ。
本棚の喜劇人コーナーをあれこれ見ていたら「志村けん享年70」は若くはないのだ。志村がお茶の間の喜劇王なら、“日本の喜劇王”と呼ばれたエノケンこと榎本健一は65。晩年は足を切ったりして、子供ごころに可哀そうなお爺ちゃんだと思っていた。エノケン・ロッパと称された古川ロッパ(インテリ)は57。あの貫録たるや70代のものだった。