民放各局が相次いで開局したテレビ黎明期、TBSは女子アナ採用の面で他局を大きくリードしていた。女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏が同局の変遷を解説する。
「当時のTBSは『民放の雄』と呼ばれ、日テレやフジに比べて報道重視でした。その影響からか、毎年多くの女子アナを採用し、民放の女子アナで初めて定年まで勤め上げた宇野淑子アナや気象キャスターの先駆けとなる石井和子アナを輩出した」
しかし、女性タレントが増加すると女子アナの採用を見送るようになる。
「1969年から9年間も採用をやめてしまうのですが、その間フジの田丸美寿々アナが人気になるなど他局のアナが台頭。TBSは“女子アナ戦線”から離脱してしまった」
その空気が変わったのが、久しぶりに採用を再開した1977年。硬派なTBSに変化が起こる。
「新人の吉川美代子アナと三雲孝江アナが人気を得ます。特に吉川アナは“TBSの松坂慶子”と呼ばれ、同局アナのタレント化の草分け的存在になった」
そして1980年代後半にフジが起こした「女子アナブーム」の波にTBSも流されていく。