【書評】『室町の覇者 足利義満 ──朝廷と幕府はいかに統一されたか』/桃崎有一郎・著/ちくま新書/1000円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
室町幕府の三代将軍である足利義満は、中国の明から「日本国王」として遇された。天皇をさしおき、王としての扱いをうけている。義満には玉位簒奪の意図があったんじゃあないか。しばしば聞こえてくるそんな声に、今の歴史研究者たちは否定的である。著者も「日本国王」を、日明合作の茶番めいた称号としてうけとめる。しかし、義満の野望を、けっしてあなどらない。
義満は息子の義嗣を、後小松天皇の「若宮」にすえた。妻の康子を後小松の「准母」、母代りの地位にとりたてている。のみならず、康子へは「北山院」つまり上皇と同等になる女院の称号もあたえた。子どもをプリンス、妻をクイーン・マザーにしたてている。
いずれは、当人じしんが上皇、太上天皇となるつもりであったろう。ひょっとしたら、義嗣の天皇即位までねらっていたかもしれない。室町期の朝廷儀礼史にくわしい著者は、その徴候が当時の記録に読みとれるという。
宮廷人たちは、義満の威風におびえ、つぎつぎと高い官職をあたえていた。だが、生存中の上皇位就任だけは、忖度をくりかえした公家らも、あらがっている。そこだけはゆずれない一線であったということか。康子の「准皇」位を承諾したのも、義満の上皇位をことわる代償であったという。