新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため緊急事態宣言が出されたことにより、主権や基本的人権のあり方について言及されることも増えた。評論家の呉智英氏が、主権、基本的人権、戒厳令について改めて考察する。
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最近、ドイツの政治学者カール・シュミットの有名な言葉を目にすることが多い。『政治神学』(未來社)の冒頭の一節だ。「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」
例外状況とは秩序の例外状況という意味であり、戦争、内乱、天変地異のことだ。こうした状況では、議会主義も法治主義も無力・無意味になり、むき出しの統治権力のみが有効になる。こういう事態を議会主義や法治主義の側がぎりぎりの際で想定したものが軍事法規や戒厳令である。
シュミットへの言及が最近多いのは、コロナ禍対策として緊急事態宣言が発出されたからだ。これは広義の戒厳令の一種、あるいは戒厳令の隣接分野である。
シュミットの政治思想は、このようにリアルと言えばリアル、危険と言えば危険な思想である。現にシュミットはナチスに利用され、戦後四半世紀ほど強く忌避されていた。未來社からシュミットの著作が何冊も刊行されたのはようやく一九七〇年前後のことである。私もその頃、同シリーズの訳者の一人、政治思想史家橋川文三を経由してシュミットを知った。
シュミットが戦後期どれほど忌避されていたかは、民族学者(文化人類学者)石田英一郎が「『歴史のあけぼの』について」(石田英一郎全集第八巻)で語るエピソードによく現れている。マルクス主義系の歴史学者松島栄一は、石田がある座談会で民族学者ウィルヘルム・シュミットを引用したことを「ナチス民族主義」に加担していると非難した。カール・シュミットと間違えているのだ。シュミット姓というだけでナチス扱いされかねない時代であった。