高校球児にとって、夏の甲子園が中止になったショックは計り知れない。そんな今だからこそ、実際にその座を掴んだ元スター球児に聞いてみた。もし甲子園がなかったら、あなたの人生はどうなっていましたか──。
「サダ坊」こと定岡正二氏(63)は、1974年夏の甲子園では準決勝で負傷交代した後にチームが敗れ、甘いマスクの悲劇のヒーローとして人気を博した。
「甲子園という存在、特に原(辰徳)君の東海大相模に勝っていなければ、アイドルのサダ坊としてもてはやされることはなかったはず。ド田舎から出てきた青年が甲子園をきっかけに騒がれるなんて、奇跡そのものです」
幼稚園でグローブとバットを持った瞬間から、甲子園を意識したという定岡氏。もしも甲子園がなかったら、野球ではなくビジネスに目を向けていたはずだと言う。
「高校3年間の練習で理不尽なシゴキに耐えたのだから、何かを成し遂げる自信はあった。おそらく鹿児島にいながら自分で何か起業していたでしょうね」
甲子園への思い入れが人一倍強いからこそ、後輩の高校球児のために何かしたいと熱く語る。
「前向きな気持ちや折れない心、厳しい上下関係など、僕はすべてを高校野球で学びました。夏の大会が中止になって高校球児のショックは計り知れない。これまで勇気や感動を与えられた大人が今度は手を差し伸べる番です。地方のブロック大会でも無観客でもいいから、何とかして彼らに真剣勝負の場を提供してあげたい」
【定岡正二:1974年夏、鹿児島実のエースとして原辰徳を擁する東海大相模(神奈川)を破り、鹿児島県勢初のベスト4に進出】
※週刊ポスト2020年6月12・19日号